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1991年青梅&佐倉マラソン完走記

(1991年当時小さなトライアスロンクラブをつくって会報を出していたのですが、その会報へ投稿した完走記の原稿を見つけました。長文ですからお暇なときにどうぞ。)

 先日、DOスポーツプラザのプールで今野真理子コーチと会った時、この会報をお母さんと楽しみに読んでいると聞きましたので、スピードに乗ったスイムの今野コーチとスピードに乗ったお話しのお母さんに、全然スピードに乗ることの出来なかったふたつのマララソンの報告を捧げることにします。
 青梅30kmから2週間で佐倉フルマラソンというひどいスケジユールを消化することになってしまい、いつもであれば、どちらかが仕事で出られなくなったり、青梅の抽選にはずれたりで両方に出場という事態にならないのですが、これも試練とあきらめて走ったものの、LSDスピードであったにもかかわらず結構きついものがありました。

                    青梅マラソン
 記録は2時間40分30秒位でした。往路の15kmは1時間23分、復路の15kmは1時間17分程度、スタートの合図からスタートラインを越えるまでに約5分のロスタイムがあるので、往路復路ともに約5分10秒/kmのイーブンペースという結果となりました。ここ2、3回の青梅30kmの記録は2時間38、39分程度ですから、進歩がなかったことになりますが、実力どおりの結果です。結構、くたびれた割には記録が良くなかつた、というのが感想です。順位は4808位、ゼッケン番号7176ですから2000人以上抜いたことになります。
 2月18日、レース当日を時間を追って説明することにします。朝、緊張のためか予定より早起きして、お正月の鏡餅の真空パックを破って、切って、オーブントースターで焼いて、海苔を探したけれど見付からず、ただ、醤油をつけただけで食べて、インスタントコーヒーをブラックで飲んで、前夜揃えておいた天候によって雨の日用、晴れの寒い日用と晴れの暖かい日用に分けてあったランニングウエアの中から適当にみつくろって・・・と書いてゆくといつまでも続く長い長いプルーストの「失われし時を求めて」になってしまうので中断します。

青梅の音
 スタートの号砲が最初に聴える音のはずなのですが、7000人も前にいるのではとてもとどいてきません。なんとはなしに、前の人々がずるずると動き始めてスタートが分かる始末なのです。スタートしてから1kmあたり、青梅の街中にあるレコード屋が近くなると聞こえてくるのが、「帰って来いよ~、帰って来いよ~」の歌声です。青梅マラソン初出場の人は、ここで嬉しくなって笑うのですが、ベテランはこれからの長い道程を思って苦笑するのです。
 どういうわけか、日本の太鼓の音を聞くと涙が出るようになっているのですが、この青梅でも「へそまんじゅう」の店の前の空き地では、いくつもの太鼓を打ち続けてくれています。復路の太鼓の音は、はげましの音、最後の頑張りの音なのです。

青梅の華
 な、なんとかわいいうさぎちゃんが前を走っているではありませんか。おしりについている白いボンボンがゆれにゆれて男心を誘います。もちろん、網タイツでプロポーション抜群、しかし、追い越して顔を見るまでは安心してはいけないというのが経験則です。ところが、これこそ青梅の華。もう青梅が終わってから1ヶ月も過ぎているのに、思い出してはうれしくなってしまうくらいのきれいな女の子でした。
 もうひとつの華は、同じ華でも仇花(あだばな)です。和服を着て、高島田のかつら、白塗りの顔をまだらにして流れる汗、ジョギンングシューズをゴール近くなって草履に履きかえるきめの細かさ、そして、白粉のしたにのぞくえらのはった黒い顔、和服の裾かち見える筋肉のついた太い足、もう少し美形の男なら許せもしようが、あれは許せなかった。
 これには後日談があって、和服を着て走った人がいたという噂を聞いた呉服協会が、近ごろの和服の衰退をくい止める話題のしようとこのおじさんに連絡を取りたいと大会本部に言ってきたとか。きっと本人を見てびっくり仰天したことでしょう。

青梅の味
 いつもシートをひいて荷物置き場や着替えの場所を提供してくれるガススタンドを集合場所にしているのですが、ここでは日本酒たっぷりの甘酒をふるまってくれるのです。まずスタート45分前、おにぎりかバナナを食べながら甘酒1杯。ゴールして冷えた身体に甘酒2杯。屋台もたくさん出ていて、焼きそば、焼きまんじゅう、焼きいか、たこやき、なんでもそろっているし、そのうえ、ランニング用品のバーゲンセール、これは味には関係ないけれど半額でなんでも買えたりする店もあったりするのです。
 走り終わってから、この屋台を横目に河辺駅から青梅駅に逆もどりして、いつもの飲み屋にみんなで集まって反省会。この時のビールの味は最高と言いたいところですが、これは疲れすぎていて厭な酔いかたをするので最高ではないにしても、やはり美味しいものは美味しいのです。今回は、この飲み屋にいたお客さんで地元の酔っぱらいおじさんが、青梅マラソンを走ってくれて、そのうえ一緒に酒まで飲んでくれて長い昔話も聞いてくれてありがとう、ということでビールと酒の差し入れをしてくれました。まあまあ、みんな好い気持ちになりました。味の話しのはずが酒の話しになりましてすみません。        

                    佐倉マラソン
 2週間後の朝7時頃、東関道をいつものようにかなり速いスピードで走っていると、前の自動車があげる水しぶきでフロントグラスが見えなくなります。昨年の冷たい雨のなかを走り歩いた大会を思い出し暗い気持ちにならざるをえませんでした。
 いろいろ言い訳はあるのですが、このマラソンはまともに走れたことがないという天敵みたいな大会なのです。どういうわけか4時間を切ったことがないのです。今回だって4時間を切るつもりだったし、途中までは充分に可能だったのですが、結果は4時間15分。やはり、体重のある人間に坂はきついのでしよう。35kmを過ぎてからの3ケ所の坂でペースダウンしてしまうことが原因のようです。 フルマラソンの距離のクロスカントリー御荷鉾マラソン、森林公園12kmクロスカントリー、ぶどう畑のなかの坂道を走るクロスカントリーのようなぶどう郷20kmマラソンなど坂のある大会が嫌いではなく、かなり参加しているにもかかわらず上り坂は不得意種目と言わざるをえません。長距離が不得意だからマラソンに挑戦、坂道が得意ではないものだからクロスカントリーに挑戦するというへそ曲がりなのです。
 佐倉マラソンには華はなくても嵐があったりするのですが、ただ、ひたすら畑があって、印旛沼があって、坂があるだけです。唯一の楽しみは、エイドステーションにあるクリームパンなのです。これもうまく食べないと喉にひっかかり窒息死しかねません。こんな大会なのに、なぜ申し込むのかと考えてみても、たいした理由は思いつきません。この時期には他に適当な大会がないこと、家から自動車で1時間半もあれば行けることなどがあるのですが、きつと、最もありそうな理由は、一度も満足できる走りをしたことがないので、もう一度、もう一度と続けているだけなのかも知れません。やはり、へそ曲がり。
 一応、スプリットタイムを書いておきますが、10km:61分、20km:1時間57分、30km:2時間57分、ゴール:4時間15分でした。

あとがき
 佐倉マラソンを終わって、気分のうえではランニングシーズンからトライアスロンに切り換えました。しかし、3月25日DOスポーツプラザ・ランニングクラブ主催の多摩川マラソン20km、4月1日会社関係の皇居10km、4月8日森林公園12kmクロカンと3週間連続での大会出場ということになってしまい、この3回のランニングのレースとトライアスロンに結びつけるために会場の往復はバイクで走るつもりです。

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青梅30kmから2週間で佐倉フルマラソン...
これって今回のワタシと同じスケジュールですね。で、できれば佐倉で4時間切っておいて欲しかった~~~~~です。
その佐倉で成功レースはあったのでしょうか?

19年前ですね。 ウサギのしっぽバニーガールは今も走ってるのかしら?

>Paraさん
1991年頃からの記録は残っているのですが、それ以前、すなわちサブ4だったことがある頃の記録がありません。20年前くらいまでが私のランのピークだったのでしょう。
Paraさんは、まだ若いのでサブ4達成間違いなし。

青梅の「かえってこ~い~よ~」は、第一回大会からなのでしょうか。だいたいあの唄がはやった(出た)のっていつ頃だったかなあ。

うさぎさん、追い抜いて振り返ってニンマリ?
そういうのを聞くとわたしがかわいい仮装をして走るのは罪つくりだろうなあ・・・と思います(~_~) でもしたいわ♪

>かおるさん
初マラソンが1980年前後の青梅10kmだったのですが、その時に「帰ってこいよ~」を聴いたと記憶しています。
かおるバニー、振り返ろうかどうしようか?

うぅ~~~ん・・
バニーガールって、のもあったか・・・。
でも、着物はやめておこうー。
青梅を走って、東京・・どうなのよ~!と、
むちゃくちゃ不安になってます。。サブ5どころじゃないです。
kanrekiさんの青年のころを見たいので、写真アップしてください?!
今年の佐倉に我がチームのエースが出ます。

>honeyさん
今の写真じゃ駄目? 探している学生の頃の写真があるので、それが見つかったらアップします。
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kanreki

Author:kanreki
偶然が重なって出場できたアイアンマン・ハワイのゴールです。いつの日にか帰りたいのですが・・・。1940年(昭和15年)生まれです。

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