生きている話
今日は前の会社の同年輩の人たちとの飲み会でした。会話の内容は、勤めていた会社の過去の話と現在の人事、技術などで刺激的話題は少ないのです。私ともうひとり以外は前の会社での勤続年数が長いので、その会社が彼らの青春であり人生だったのです。しかし、私が正社員だったのは10年、それから理事で2年だけですから、あまり思い入れはありません。どうでもいいのです。過去の話をしていれば無難ですが、現在、なにを考え、なにをしているかを話題にしなければ面白くないのです。
前の前の会社の老人会は、問題提起する老人たちがいるので現在の政治問題、文化問題なども話題になります。少ない脳みそを使って考えなければならない話題もあるのです。そうなんですね、脳みそを使わなくていい会話なんてつまらないのです。おばさんたちの会話は脳みそを使っていないので延々と続けられる、というのは偏見です。
それから、現在同じような生き方をしている人たちとの会話は、当然生きている会話になるので面白いのです。たとえ脳みそを使わなくてもね。この書き方には矛盾がありそう?
前の前の会社の老人会は、問題提起する老人たちがいるので現在の政治問題、文化問題なども話題になります。少ない脳みそを使って考えなければならない話題もあるのです。そうなんですね、脳みそを使わなくていい会話なんてつまらないのです。おばさんたちの会話は脳みそを使っていないので延々と続けられる、というのは偏見です。
それから、現在同じような生き方をしている人たちとの会話は、当然生きている会話になるので面白いのです。たとえ脳みそを使わなくてもね。この書き方には矛盾がありそう?